「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」へのご回答

7月29日付に山下耕平さまよりキャンペーンに対して要望をいただきました件につきまして、
実行委員会内部にて検討し、こちらより回答させていただきます。

「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」 へのご回答

山下耕平さま
このたびは、#学校ムリでもここあるよキャンペーンにつきまして、大変示唆のあるご指摘をありがとうございます。

また2019年度、2020年度にはフリースクールフォロのキャンペーンへのご参加ありがとうございました。特に2019年度においては、当時の担当スタッフの方から運営側に対して大変温かい言葉をいただきました。居場所の登録作業や確認作業などで数週間、寝る間も惜しんで作業していたボランティアスタッフ一同、とても嬉しく感じましたことを昨日のように覚えております。こうしたお気遣いが、運営側にとっては何より嬉しいものであります。その節はありがとうございました。

さて、山下さまより2021年度の学校ムリでもここあるよキャンペーンを中止にすべきと言うお言葉をいただきましたが、私たちはこのキャンペーンを中止にするべきではないと考えます。

その理由を以下、山下さまが出してくださった5つの観点に沿ってお答えしていきたいと思います。

1.コロナ禍からうかがえること

山下さまは以下のように書かれています

2020年は、さらに子どもの自殺が増加しました。文科省の自殺予防に関する有識者会議は、コロナ禍における学校の一斉休業などが影響しており、とりわけ家庭に居場所のない子どもたちが追いつめられた可能性を示唆、「家庭が子どもを支える最重要の環境として機能しないばかりか、子どもの安全を脅かすことにもつながっている可能性すらある」との見方を示しています。家庭に居場所がなく、かろうじて学校だけが居場所となっている子どもにとっては、学校の長期休みこそが追いつめられる要因となっているのではないかと思われます。こうした事態に対し、「学校ムリでもここあるよ」というメッセージは、あまりに一面的だというほかありません。(「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」より)

①データや現場の声から読み解けること

まずデータや有識者会議の意見、現場の声から読み解けることはなんでしょうか。

山下さまが出されているのは「令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ(案)」かと存じますが、山下さまが引用された文章(p11)のあとは

「また、そのような子供たちにとって、家庭の支援機能を補う居場所としての役割を担ってきた学校も、一斉休業の間は勿論のこと、登校再開後も感染予防や授業時間の確保のための行事等の中止や種々の対応に教員自身も疲弊している中では、十分な支援機能を果たせない状況も生じていたと考えられる。」(令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ(案)p11)

と、家庭に居場所がないだけでなく、学校の環境の変化によって学校にも居場所がなくなっている子ども達の状況が述べられ、つづく文章でも、

コロナ禍で、家庭や学校の支援機能が低下している中でこれまで以上に多くの 児童生徒が危機的な状況に直面している。(令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ(案)p11)

とし、

危機的な状況にある子供たちを支援し自殺の危機から救うためには、困難を抱えていたり、子供への関わりが適切ではなかったりする家族に関わり、家族共々支援することのできる機関や、必要に応じて家族の機能を代替できる体制などが必要であり、そのような関係機関との連携・協働は必須である。(令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ(案)P12)

と、家庭や学校以外の機関との連携・協働の大切さについて書かれております。

なぜこのように報告書の一部を切り取って「一面的に」ご主張されたのかがわかりませんが、同様の指摘は他の調査からも上がっています。

厚生労働大臣の指定法人・いのち支える自殺対策推進センターは、過去12年間の自殺者の記録をもとにかつてない規模で分析を行いましが、その中で10代の自殺が多く起きる時期は夏休み明け(令和元年は休校明けと夏休み明けの2つの山)、時間帯は登下校の時間帯であり、自殺をする前の1番多い発信は「学校に行きたくない」でした。

コロナ禍前の少し古いデータになりますが、日本財団が2018年に行なった調査でも、若年層の自殺念慮の原因の半数近くが「学校問題」と回答、不登校経験にも強い関連がありました。

こうした調査を読み解き、また「コロナ以降から保護者から虐待不安の相談が増えた」「休校明けから不登校になったという相談が増えている」といった現場の声も合わせますと、
「家庭にも学校にも居場所がない」子ども達への具体的な支援はより一層求められているのではないかと考えます。

②家庭に居場所がなくて学校に居場所がある子達には、第3の居場所を届けなくていいのか

次にそもそも私たちが行う#学校ムリでもここあるよというキャンペーンは、学校から子どもを切り離すキャンペーンなのでしょうか?そう捉えられているとしたら、私たちはとても残念です。

私たちはウェブサイトでも伝えているように、学校でも、家庭にも、居場所のない子どもたち、生きづらさを抱える子どもたちが、学校でも家庭でもない、第3の居場所、第3の大人に出会えることを、このキャンペーンを通して行いたいと思っています。

第3の居場所は子どもにとってどういう居場所でしょうか?
家庭からも、学校からも切り離された存在でしょうか?

国連子どもの権利委員会は、かつてより日本の子どもたちは過度な競争にさらされているとたびたび警告してきました。

競争という価値観の中で、常に同年代の同質性が高い集団の中で、スクールカーストのような序列的な関係の中で評価され続け、心が疲れた子どもたちにとって、第3の居場所は、評価の眼差しのない、自分がありのままでいて良い場所、自分のやりたいことを、思いっきりやれる場所、何かをやったときに誰かのありがとうがかえってくる場所だと私たちは考えます。

そうでない場所は、子ども達から選ばれることもない、大人の押しつけや、支援という名のエゴである場所と言えるでしょう。

つまり私たちが目指しているのは、子ども達を物理的に学校から切り離すということを言っているわけではありません。物理的に距離を置いた方がよい子はそうした方がいいですが、たとえ様々な事情からそれは出来なかったとしても、第3の居場所があること、そしてそこでは評価の眼差しであなたを見る場所ではないということを、子ども達に伝えたいと思っています。

そして学校や家庭で、子どもたちを受け止められる余地があるのであれば、ぜひそうしていただきたいですが、先に挙げた様々なデータや現場の声の通り、家庭や学校にその余力がないことが、様々な調査から指摘されております。その点においても、子ども達に第3の居場所を伝えることの価値を感じております。

③恒常的な支援先につながる意味

また子ども食堂を筆頭に、食事の支援などを行ったり、苦しい状況にある子ども達と家庭を下支えしている居場所が登録してくださっていることも、述べさせていただければと思います。

学校の長期休みなどで家庭の居場所がなくなっている子ども達への継続的な支援は、例えば給食が無くなっている貧困家庭への食事や食料支援、学習支援を通した虐待発見、遊ぶことを通した自己肯定感の向上など、様々な取り組みがあります。

不適切な行為を日常的に受け続けている子ども達は、すぐにSOSを出すことができません。
キャンペーンを通して「長期休みが怖い」子ども達にも、こうした地域の居場所に繋がってもらえればと考えております。

「家庭に居場所がなく、かろうじて学校だけが居場所となっている子ども」に、地域のSOSを出せる居場所を伝えないという方が、はるかに「一面的」であると考えます。

 

2.私たちの発信について

山下さまは以下のように書かれています

もともとは地道な取り組みだったものが、マスメディアで大きく報道されるようになり、年々、エスカレートしていきました。周囲への注意喚起であれば、こうした報道にも意味はあるように思います。しかし、私が目にしたかぎりでは、主として子ども本人に向けて「死にたいほどつらいなら逃げてもいい」といったメッセージが、くり返されてきたように思います。渦中にある子どもにとっては、こうしたメッセージが何度もくり返されるのは、むしろしんどいのではないか、ややもすれば、それはかえって希死念慮をあおることにもなりかねないのではないかと懸念しています。(「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」より)

私たちもその点(ウェルテル効果)については2019年度より考えており、ホームページのつくりでも子ども達に向けたメッセージの中では「自殺」や「自死」などの死をイメージさせるメッセージは入れず、「大人の方へ」というところで背景について書かせていただきました。
説明会でもそのように登録団体には説明させていただいております。

私達のキャンペーン参加団体には自死遺族が運営される会もございます。その会が発信する際にも、こういった背景から、あえて「子ども達に向けたメッセージには自死という言葉は使わなくていいですよ」とご説明差しあげておりますし、様々にそういったメッセージは発信してきました。

 

直接お話ができる報道関係者の方にも「死にたいほど辛いなら逃げてもいい」いうメッセージは、「『死ぬほどにまでおいつめられないと学校を休んではいけない』と子ども達が捉えかねないので使わないで欲しい」というお伝えもしております。

しかし「子どもの自死が増えているという事実を伝えたい」という報道の主旨が先にあり、その解決策の一つとして私たちの取り組みが取り上げられる報道については、私たちへの連絡がなくこの取り組みについて報道される場合もありますし、私たちの取り組みがなくても、こうした報道はおそらくされるのではないかと考えます。ウェルテル効果については私たちからも伝えておりますが、ぜひ山下さまやこの文章を読む皆さまから、報道機関に直接お寄せいただければと思います。

HPの記載の再検討など、私たちの発信方法についても、より丁寧にしていきたいと感じております。
貴重なご意見をいただきましてありがとうございました。

3.自殺者数の増加についてどう考えるのか

山下さまは以下のように書かれています

キャンペーンを開始後、むしろ子どもの自殺者数は増えています。キャンペーンによってあおられた結果だと短絡するつもりはありませんが、少なくとも、キャンペーンは功を奏していないと言えます。また、主催者側から、キャンペーン開始後に自殺者数が増加していることについて、それをどのように受けとめ、キャンペーンを見直したのかという見解を、私は目にしていません(見過ごしているのかもしれませんが)。(「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」より)

キャンペーンが功を奏していないのか、キャンペーンの力及ばずなのかと言えば、
私たちの捉え方としては「力及ばず」という総括をしております。

そもそもこの2019年以降の#学校ムリでもここあるよキャンペーンのはじまりの経緯は、同じ年(このキャンペーンを行う半年前)の2019年1月に、東北で1人の10代の少年が自死で亡くなったことから端を発しております。

彼の父親から「もう誰もこの苦しみを味あわせたくない」と呼びかけられ、何の利権とも関係なく、想いを持った人たちが声をかけあい、集ったのがこの実行委員会です。

「力及ばず」でいることに一番悲しく、悔しく、不甲斐なく思っているのは実行委員会の私たち自身です。

「キャンペーンが功を奏していない」

とおっしゃられるのであれば、ぜひ「功を奏する」自死予防対策のお知恵を私たちにご教示いただけましたら、大変ありがたく存じます。
もしこのキャンペーン以上により「功を奏する」方法がありましたら、キャンペーンへのそれぞれの私生活を削った労力も、そちらに注力したいと考えます。

4.短絡的なのでしょうか。

山下さまは以下のように書かれています。

この時期にかぎって、自殺に焦点をあててキャンペーンすることはやめるべきだと思います。長期の休み明けに子どもの自殺者数が顕著に多いことは統計で明らかになったわけですが、その事態に対する取り組みは、このキャンペーンのようなかたちが望ましいのでしょうか。このキャンペーンは、自殺と不登校の問題を短絡化しすぎているように思います。くり返し申し上げれば、学校でも家庭でもない第3の居場所の取り組みは大事だと思いますが、それは地道に継続して行なわれていることが重要なのであって、自殺に焦点化してキャンペーンをすることが居場所の取り組みを拡げることになるとは思いません。(「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」より)

繰り返しになりますが、「その事態に対する取り組みは、このキャンペーンのようなかたちが望ましいのでしょうか。」という問いについては、「より良い方法」がありましたらぜひご教示いただけましたら幸いです。

またこのキャンペーンに参加している団体はどこもキャンペーンだけの一過性の活動ではなく、常日頃継続的に子どもや保護者への支援を行っている運営団体であることも改めて強調させていただきます。

食事支援や食料支援、学習支援、関係の支援などを「地道に継続して」行い、子ども達のSOSをキャッチしてきている居場所に、キャンペーン期間を通して繋がって欲しいという意図をもち、このキャンペーンを行っております。

また2019年、2020年の2年間で「キャンペーンをきっかけに来所や相談があった」(登録団体)、「実際に行くことはなかったが、学校に行かないことに肯定的な意見に触れられたのが良かった」(10代不登校生徒)という声が届いていることも、合わせてご報告します。

5.セーフガーディングの取り組み

山下さまは以下のように書かれています。

フリースクールの運動を中心的に担ってきた東京シューレにおいて、過去に性暴力事件が起きていたことが、被害者の提訴した裁判によって明らかになりました。ここでこの問題の詳細に立ち入ることは控えますが、被害者の方は、いわば「学校ムリでもここある」と思って出会った場所で深刻な被害に遭い、いまなお苦しんでいることがうかがえます。また、東京シューレの裁判和解後の対応、フリースクール全国ネットワークの対応、全国不登校新聞社の沈黙などは、二次加害を積み重ねてきたように思います。この事件については、一次加害の検証もまだ済んでおらず、二次加害についても、きちんと検証すべきことと思います。そうした検証作業も済んでいないなか、「学校ムリでもここあるよ」とキャンペーンをくり返すことは、被害者の訴えをなかったもののように扱い、さらなる二次加害を重ねることになるように思います。(「#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。」より)

約20年前に起きた性暴力事件について、今年6月に発表された当該フリースクールの報告(一部)を受け、私たちはこの問題にも今年、真摯に向き合いました。「『学校ムリでもここある』と思って出会った場所で深刻な被害に遭」うことは一番に避けなければいけないことであります。

この件についての新聞報道によると、

女性は「訴えを起こして、自分にできる限りのことをし尽くして闘い、無力ではないと思えた。ただ、子どもの居場所の安全が一番訴えたいこと。子どもが性被害にあわないように、もし被害にあってもSOSを出せるように、SOSに気づけるようにしてほしい」と話し、「大人と子どもは圧倒的な力の差があることを自覚する」など大人にできる「安全対策」を発表した。(フリースクールでの性被害、和解「居場所の安全守って」朝日デジタル2019年7月6日

とあります。

記事からはこちらの「安全対策」の中身までは読みとることはできませんでしたが、被害に遭われた方からの、子どもが性被害に合わないための予防と、もし被害にあった時もすぐSOSが出せること、SOSに気づける仕組みをつくって欲しいという声を真摯に受けとめ、今年度は新たな取り組みもはじめました。
詳しくはこちらの記事をお読みください。「セーフガーディング研修講座を行います!」

登録される全ての参加団体へ、「セーフガーディング研修講座」の参加と、キャンペーン共通の「スタッフ・ボランティアが子ども達へ約束すること(仮)※1」の掲示(入口や居場所の誰でも見えるところに)、スタッフやボランティアなど関わる大人の誓約書、これらに反することが起きた場合の実行委員会への報告を義務としています。
取り組みの初年度でまだまだ至らないところも多いかと思いますが、ぜひこの取り組みに関心をお寄せいただければと思います。

二次加害の検証については、それぞれの関係団体において行っていただければと考えております。また本キャンペーンが二次加害にあたるのかという点につきましては、2019年、2020年においては、被害に遭われた方からこちらへの声は届いておりません。
もしなんらかのご希望がありましたら、ご連絡いただければと思っております。

1人の声だからと決して無下することはしません。
しかし周囲が忖度して、声なき声を作りあげる行為もまた、控えるべきであると考えております。

 

以上を回答とさせていただきます。

いただいたご意見は今後の活動にも生かし、真摯に活動を続けてまいりますので、キャンペーンへのご理解をいただけましたら幸いです。

最後に長くなりましたが、すべての方に私たちのキャンペーンに賛同参加していただく必要はないと考えております。子どもたちには、私たちのようなキャンペーン以外の方法でも様々な伝える方法があると考えております。

コロナ禍前から、そしてコロナ禍以降さらに、子ども達が抱えるストレスや生きづらさの原因は、大人がつくってきた社会の反映です。私たちはこうした社会のあり方そのものを、キャンペーンを通して微力ながら変えていきたいと考えおりますが、私たちと活動を異なる方達とも、それぞれの場で応援し合いながら、より良い方向に変えていけることを願っております。

皆さまそれぞれの活動が子ども達や若者に届き、より「生きることが楽しい」社会へと繋がっていくことを望んでいます。山下様のご活動も陰ながら応援しております。引き続きよろしくお願いいたします。

#学校ムリでもここあるよキャンペーン実行委員会